蛭谷和紙 1981–
川原 隆邦
Takakuni Kawahara かわはら たかくに
400年続いた蛭谷和紙の、ただ一人の継承者。原料の栽培から漉きまでを自らの手で行う。

1981年5月31日生まれ。父の転勤にともない神奈川県・千葉県・インドネシアなどで少年期を過ごし、18歳で富山県へ移った。プロサッカー選手を目指してJFLでプレーしたのち、負傷により選手生活を離れ、郷土の伝統工芸に後継者がいないことを知る。
2003年、富山県朝日町に伝わる蛭谷(びるだん)和紙の最後の職人であった米丘寅吉に師事。2009年に師が没して以降、蛭谷和紙唯一の直系継承者となった。2015年、製作所を立山町虫谷へ移している。
蛭谷和紙は、およそ400年前に近江の蛭谷から朝日町へ移り住んだ人々が始めたと伝えられる。昭和初期には120軒近くが冬の仕事として漉く産地だったが、障子紙の需要減とともに衰退した。五箇山和紙・八尾和紙とともに「越中和紙」として国の伝統的工芸品に指定されている。
仕事は受注制作を軸とし、建築空間に組み込まれる大判作品が多い。北陸新幹線 黒部宇奈月温泉駅の内装、TOYAMAキラリの壁面(隈研吾建築都市設計事務所)、東京メトロ虎ノ門駅エントランス、2025年の大阪・関西万博 迎賓館エントランス《BIRUDAN》などを手がけた。2026年にはグランドセイコーのミラノデザインウィーク出展「THE NATURE OF TIME」に参加し、《aurora》《うつろい》を発表している。
主な仕事
- 2026
《aurora》《うつろい》— THE NATURE OF TIME
グランドセイコーのミラノデザインウィーク2026出展「THE NATURE OF TIME」に参加し、2点を発表した。
- 2025
《BIRUDAN》大阪・関西万博 迎賓館エントランス
約1.5×6.5mの和紙を、会期中に7点入れ替えて掲げた連作。十勝の牧草と土、山形の紅花、東京・利島の椿、京都の抹茶、富山の酒米と稲穂、岡山のデニム、石垣島の塩——各地を訪ねて選んだ素材を漉き込み、7色の虹のように日本の風土を表した。
- 2023
富山県防災危機管理センター エントランス
富山市に新設された県の防災拠点のエントランスに、大判の蛭谷和紙を設えた。
- 2020
虎ノ門グローバルスクエア エントランス
縦3.5×横10mの一枚紙を特製の型枠で漉き、12色の色糸で虎ノ門一帯の等高線を表した。銀座線虎ノ門駅直結の入口とあわせ、200㎡を超える和紙を建材として用いた初めての例で、行灯のように光を透かす。監修は堀木エリ子、設計は日本設計。
- 2020
《有磯紙》
国際工芸アワードとやま2020 受賞作。
- 2018
パリ装飾美術館(ルーヴル宮)展示
「ジャポニスム2018」の公式イベントとして、月の満ち欠けを主題にした和紙を展示した。
- 2017
《四次元展開図》
極薄の和紙を重ね、光の透過で玄武・青龍・朱雀・白虎の四神を浮かび上がらせる。U-50 国際北陸工芸アワード 最優秀賞。
- 2015
北陸新幹線 黒部宇奈月温泉駅 内装
開業にあわせ、駅舎内装の和紙を手がけた。
富山県民会館 ロビーの柱
立山杉の表皮を漉き込んだ和紙を合わせガラスに封じ、ロビーの柱を包んだ。
TOYAMAキラリ 壁面
隈研吾建築都市設計事務所による富山市ガラス美術館・図書館の複合施設に、壁面の和紙を制作した。
《紙の居》リバーリトリート雅樂倶
富山のホテルの客室「水紋」「環水」に設えた。地元の土による版築壁と、自家栽培の楮・トロロアオイから漉いた和紙で構成する。
立山護符
芦峅寺 雄山神社に伝わる江戸期の版木で刷る護符のために、和紙を漉き続けている。



略歴
- 19815月31日生まれ。父の転勤により神奈川県・千葉県・インドネシアなどで育つ
- 2003蛭谷和紙唯一の職人・米丘寅吉に師事(川原製作所、富山県朝日町)
- 2009師・米丘寅吉が没し、蛭谷和紙唯一の直系継承者となる
- 2015北陸新幹線 黒部宇奈月温泉駅ほかの内装を手がける。製作所を立山町虫谷へ移転
- 2018「ジャポニスム2018」公式イベント(パリ装飾美術館)に参加
- 2020東京メトロ虎ノ門駅エントランス、虎ノ門グローバルスクエア受付壁面を制作
- 2025大阪・関西万博 迎賓館エントランス《BIRUDAN》を制作
- 2026グランドセイコー ミラノデザインウィーク2026「THE NATURE OF TIME」に参加。《aurora》《うつろい》を出展